僕にとってのピアノの音

僕にとってのピアノの音

僕がピアノを初めて見たのは、小学一年生の春。
そして興味を持ち始めたのは、中学1年。鍵盤に触れたのは高校2年生。
高校2年は、毎日が後悔だった。
あの時やっていれば・・・と後悔し続けた。腰が重すぎたと、悔やむばかりだ。
「エレクトーンの習い事」を姉に誘われつつも、「女の習い事」という偏見ばかりを思い浮かべ、まったく聞く耳を持たなかった。
なぜに断ったの?自分。
後悔、後悔、また後悔。

「バンドをやろう」という友達の一言から、その後悔が始まった。
誘われたのはいいが、僕には弾ける楽器がない。聞くと、みんな楽器も持っていないし、ましてや弾けるやつもいない。じゃあどうしてバンドを?と聞くと、口をそろえて「かっこいいから」。
そんな言葉に同調し、じゃんけんに負け、やり始めたのが鍵盤楽器。夏休みに貯めたバイトの貯金をつぎ込み、CASIOの古いシンセを買い、毎日練習した。
あの当時、インターネットもなく、楽譜を買うお金もない。知り合いには鍵盤奏者がおらず、頼るのはエレクトーンを4,5年かじった姉しかいなかった。
姉に聞いたところで、習っていたのはもう10年以上も前のことだった。覚えてやしない。楽譜だって無いし、弾き方すら覚えていない。
上達するすべが全くと言っていいほど見あたらなかった。
そして、予想通り、高校3年のバンド演奏は、「打ち込み」の「自動演奏」でごまかすことになった。

今を思うと、あのころの思い出といえば、お金もないのに意味もわからず買った楽譜と、腱鞘炎のような痛みの記憶。
左手が思い通りに動かず、右手が先走る。

でも、そんな悪い記憶ばかりじゃない。
ピアノへのあこがれは、その記憶より強く、今も残っている。

あの時の記憶。
あの時の音の粒。
はっきり覚えている。
ショパンのエチュードを聴いた時のあの切なさ。
「別れの曲」という題名も知らずに、映画のワンシーンで流れたあの音。
僕にとって、ピアノの音というのは、そのワンシーンに凝縮されてしまっている。
もっといい曲、もっと技術的な曲、沢山あるだろう。
でも、あの時代に、あの場で聴いたあの曲を聴いた時に、あふれた感情は忘れられない。
今、YOUTUBEなどで聴いても、どこか違う。パーツが足りない。
なんの曲を聴いても、あの感情に勝る音はない。
音楽というのは、そうゆうところがある。
僕の場合、ピアノの音は、そうゆうものだ。
そして、僕もそんな音を出せたら、演奏者として本望の何物でもない。

僕も、ギターでそんな弾き語りがしたい。
誰か一人、そう思ってくれるだけでいい。
そんな演奏が出来たらと、切に願う。

今まで、私は「高校時代、じゃんけんで負けて鍵盤楽器を強制的に選択させられた」という話をしていた。
が、事実は少し違っている。
僕には鍵盤には思い入れがあった。
だから、じゃんけんに勝ったとしても、
僕はあの時、鍵盤を選んでた・・・

・・ということに、してください。

(ごんぞう)

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